「退屈と苦しみ」ひまつぶし序説―1― ,,201122
人間にとっての全存在界、には所与の目的は無い。
因って人生の目的は相対的でしかあり得ず、具体的で普遍的な目的は存在しない。
因って、生きること、即ち人生に対する態度はほぼ2つに大別される。
ひとつは正しく、人生とは「生命のある期間のひまつぶし」ととらえること。
もうひとつは、相対的な仮の目的を妄信或は狂信すること。
仮の相対的目的は、常に破綻の可能性に満ちて(現実的にかなりの確率で破綻することが観察されるように思われる)ので、これはとてもリスキーな賭博的投機的な生き方と云える。
換言すれば、人生に目的を想定するのは愚か者である。
……狂信者たちも彼らの楽園を夢見る。…
とは、キーツだったかと思うが、狂信者の楽園に哲学はコミットしない。
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さて、より聡明に「人生とはひまつぶし」でしかないと認めるならば、価値ある、成功した人生とは2つの要素から成ると思われる。
ひとつは、「退屈しないこと」。
もうひとつは、「苦しまないこと」。
苦しみとは、具体的には「精神の葛藤」と「肉体の苦痛」だ。
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取り敢えず、以上が根本的な洞察である。
これら、非常に単純な命題も、現実の運用(つまり生きること)に即して考察するならば、非常な困難が想定され、その困難の克服への考察には多少の意義が見出だせるように思える。
まずは、本稿はここまで。
兀