罔兩庵日乗 mouryouan’s diary

私的思索散話妄言覚書

「是非に及ばず」考 ,,200723

「是非に及ばず」考 ,,200723
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(肝の座ったにゃんこ先生)

どうにも理不尽としか思えない面白くない事が憂鬱を誘う。
「是非に及ばず」
と云う言葉が、山を歩いていると浮かんだ。

そう。是非に及ばず、致仕方無し、だ。
仕方ないものは、とりあえず、ほおっておくしかないのだろう。

   ○ ○ ○ ○

是非に及ばず。
と云えば本能寺の変での信長の台詞として知られている。
似たような状況での台詞と云うと、「ブルータスよお前もか」が思い浮かぶが、こちらはあまりにもオバカさん。人物像が軽く作られているような…。

以下管見ながら、是非に及ばずについて。

何が是非に及ばずかと云えば、
「この事態」
信頼していた部下に裏切られ殺され、大事業を中断させられるという事態

是非に及ばず、どころか、非も非、歯噛みをして刮目血涙怒髪天の事態であるはず。
伝えられる信長公のエキセントリックさとは正反対の台詞である。

何故、是非に及ばないのか?
愚考するに、天命、因果だから(と公が思った)ではないか。

古来、何時からかは知らず、そして現今までも日本人は、大業偉業人並み遥かにはずれた業績を人の所業と認めず、神の仕業、その人をして神の依ったヨリシロと見なす。

信長公はまさしく神人一体であった。

神とは勿論創造主でもなければ絶対神でもなくましてや人格神ではあり得ない、謂わば存在世界の因果の突出した因果の特異点のようなものと理解すれば良いのではないか?

全存在世界は多対多の超絶複雑な因果の塊である。 
(精神世界の因果と物質世界の因果の関係はとりあえずおいておく。)
現在目前の事態は、果であって、その因は必ず先立ってこの世界に撒かれている。
因は一つならず、撒かれたのは一時、一ヶ所ならずだが、事態が「ワタクシ」に起きている以上、その多くは「ワタクシ」が過去に撒いた種であるに違いない。
撒いたとまでは言えなくても少なくとも、かなりの程度関与しているのが普通であろう。

要するに、世界の事態は、かなりの程度因果応報なのである。
ただ、因と果はビリヤードのキューと球のような単純なものでは、断じて無い。
因と果の関係は、直接見えない、わからない事の方が多い。

故に、多くの場合、理不尽の感を免れない事になる。

時に、特別重大な果が生じる。
先に述べたように、さまざまな過去に、さまざまな場所で発生した、億兆のさまざまな人的行為や自然現象が、複雑に影響の波を及ぼしあって、偶然とある時点一ヶ所に偶然波が多重重なりあう特異点が生じてしまう。
それが、事件である。

本能寺ほどではないにしても、我々の人生にもこの特異点は何度かあらわれるのは皆様納得頂けるのではないか?
幸運として不幸として、悲劇として喜劇として。
またその事件は因となり、時を経れば、幸運は不幸の種、悲劇は喜劇の前段、塞翁が馬。。。

……信長公のみならず、人は皆、少なからず神である。つまり、因果の特異点を表現するモノである……全存在世界とは因果運動の総体である。……

人生そのものが人類史上の特異点中の特異点である信長公の、その超絶した偶然の羅列であり歴史そのものであった人生を、歴史から断ち切った特異点としての光秀の謀反と云う事態は、「超絶偶然の度合い」としては「信長公の存在そのもの」と比べれば然程大きいとは云えない。
いや、些細な事である。

驚愕はするが、ありえない事態でもなかった。
まぁ、小生は哲学者だから歴史ミステリーはここまで。

多数の原因が「ワタクシ」を中心として発生し、その様々な結果が「ワタクシ」の周りに蝟集し新たな原因となり、様々な結果を作り出し……銀河、或いはわたあめの様に一つのゆるい同調する一種の個物の様な空間を作る。
銀河宇宙にならって云えば、「ワタクシ」の宇宙
とでも言えようか?

事件は、「ワタクシ宇宙」の特定時間に特定空間で発生する特異点である。

責任とか意思とか、そう云った近代の発明(捏造)物はどうでもいい。
ワタクシを中心とした因果の宇宙の中で起こった結果は、驚愕動転予想外の事態であろうとも、ワタクシが原因に深く関わった結果であるに違いない。

故に、ワタクシは、その驚愕動転理不尽の念をおさえ呑み込んで受け入れなくてはならない。

謂わば、直接間接多対多対応の巡りめぐっての自業自得である。

是非に及ばず。
とは、そう云った静かな諦念の言葉であろう。

知らず知らずに自ら因を撒き、それが目前の悲劇として果となしたのだ。
是非に及ばず、ではないか。。。

小生もまた、知ってか知らずか悪因を撒き、今自ら因果応報の罰を受けている、と云うわけだ。
是非に及ばず。

  ○ ○ ○

信長の「ワタクシ宇宙」は本能寺で宇宙の求心力(肉体)を失い消滅して、公の関わった因は全存在世界に散らばったわけだ。 

そして、光秀の「ワタクシ宇宙」は大きな原因を創ってしまった。
然程時を経ずして、その因は果を産むであろう。
その果もまた、是非に及ばないのだ。

光秀は雑兵の槍にかかって、ほとんど野垂死する。

信長公の「是非に及ばず」は、光秀に対する哀れみの言葉でもあったのではないか。

ワレに仇為す因果は、そのカレの身に返るなり。
カレ、将に悪因を自ら撒けり、哀れならん。

……まぁ、考えてみれば、人はみな是非に及ばぬ生を受け、是非に及ばず死んでゆく、哀れな因果運動のエピソードに過ぎないとも謂える……

だから、生きてる間が全て。
悲しいことは忘れて。
楽しい遊びを考えよう。

遊びをせむとや生まれけむ。。。ダヨー

さて、昨日は5日ぶりに飲んだので、また今日から禁酒だ。