罔兩庵日乗 mouryouan’s diary

私的思索散話妄言覚書

最大多数の最大幸福と少数者の権利 ,,200721

最大多数の最大幸福と少数者の権利 ,,200721

昨夜、偶然ラジオの民放にて性的な少数者に関する啓蒙(?)番組を興味深く聴いた。
そして、ふとした違和感。。。、

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性同一性障害、は障害者と云う差別」云々、、、とか、
LGBT(Lesbian(Gay、Bisexual、Transgender)なる語はずいぶん杜撰なる語にて……」云々とか、色々知らぬことが多かった。

体の性、と、心の性、と、好きになる性、は別々なのだそうで、組み合わせは12あり、「シス」つまりわたくしなんぞはたまたまそのうちの十二分の2(古典的?男と女)と云うことになるらしい。

ありゃりゃ。こりゃ、驚いた。

最近は、ノーマルな人々を、わざわざ「シス」と云うらしい。
ありがたいことです。
どこやらの調査では、「トランス」側(正確な表現がわからないので、とりあえず)は7.6%存在するらしいが、とても信じられない。
えっ?左利きより多いって?
ちょっとでも、その気のある人を全て強引に「そちら」にカウントしている、要するに「為にする」数字ではなかろうか?
小生の実感ではせいぜい1~2%では?
まぁ、根拠はないから、7でも8でも良いけど。

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要するに、感じたことは、
「少数者の権利を守ることは大切」だろう。
間違いない。
しかし、それは人としての最低限の配慮で良いのではないか?

社会が、地球規模の天変地異に常にさらされ、経済が疲弊し、疫病が蔓延し、新生児乳幼児や老人や「はっきりした」先天的な障害者、病弱者が生命の危機に常にさらされいている世界的状況に鑑みて、

最大多数の最大幸福、とは何なのか?
流行りの言葉を使えば「ニューノーマル」(笑)
を、考えてみるべきではないか。
少なくとも、政府と、御用学者の方々は。

性的な云々が、かわいそうなら、不眠症もかわいそう、アル中もかわいそう、芸術気質もかわいそう、うつ的性格もかわいそう、寝坊もかわいそう、ゴミ屋敷もかわいそう、クレーマーもかわいそう、、、は、言い過ぎか。

かわいそうな人をいじめるのは良くない。
当たり前だ。でも、めんどくさいから、或いは興味ないから無視するのは、致し方ないのではないか?
みんな自分のことでいっぱいいっぱい。

お互い、社会秩序を乱さない限りは、危害を加えない、干渉しない、権利の侵害をしない、当然意地悪を、しない。
その程度で、いいのではないか?

多く苦しんだから、多く得られて当たり前。と、云うものではないのではないか?

小生の感覚では、いくら苦しんでいるとはいえ、性器や身体を切り刻んむのは解せない。
人間の分際を越えた不遜に思える。
与えられた運命を受け入れられないものか?
と、云う感はぬぐえない。
勿論、これは私見である。
そして、この私見を持つ権利も当然正当だ。
これを、押し付けない限りは。
これは、これで、正当なオピニオである。

(因みに、小生は、性的にはノーマル中のノーマル。同年代のごく普通の女性が好きな男性である。思想的には多分、少数者だ。)

……どうやら、昨今の世界は、こういう意見を差別的といって圧殺するのが流行りに思えて仕方ない。

性にグラデーションがあるのはわかるとして、人類が生き延びて、人類の最大多数が最大幸福を得るためには、そこまで細かく少数者の幸福に目配りをしていられない。

みんなそれぞれ固有にツラいんだよ。
あたりまえに、最大多数の「シス」だってツラいんだよ。
昔から、男はつらいよ!(笑)…ですから。

正直云って、いじめは人間の本性だし、いじめる方が別の場面いじめられたり、いじめるつもりがなくてもいじめてたり、いじめられてるのが当たり前すぎて耐えすぎてわからなくなったり、、人間なんてそんなものだ。

社会はいじめでまわっている。
勿論、それをすくなくしていくことは大事なことだろう。

が、あまりに自分固有の被害ばかり主張するのもどうなんだろうか?
すこしばかり、うるさい、と感じてはいけないのだろうか?

彼らは、盲人でも難病でも小児癌でも精神病でもない。

誰だって、我慢してルンだよ。
黙って耐えてるんだよ。

だから、不眠症になり、鬱になり、アル中になってるんだよ。
黙って、面白くもない世を生き抜いて、痛みと苦しみと孤独のなか死んでいくんだよ。

そもそも、老人はみな寂しくつらく苦しい。

ほとんどの人は、固有の不幸を背負い、それぞれそこそこの幸福をありがたく思わなくてはならない。

最大多数って何よ?
最大幸福って何よ?
そのなものいるの?
自民党?サッカーファン?

まぁ、何世紀も苦しんでいた人々が、やっと苦しい苦しいと言えて、権利を主張できて、良かったね。とは思う。

でも、正直、それ以外の人々の比較になら無い固有の苦しみにとっては、やはり、どうでもいいと云うのが正直なところ。

我々ノーマル(誰がよ?)がまず考えるべきは、当然、自分の幸福。
次に、「不慮の災害や疫病、障害で本当に困っている人々」を助け、助けあう社会を目指すこと。

(正しくなんと云えばいいのかわからないが)性的な少数な方々への配慮はそのずーっとずーっとあとのあとの後回しでいいのではないか?
何故なら、かの人々自身が自らを「障害」では無いと言っているのだから。

性的な性的なって、そんなに社会的に大きな優先的問題だとは「私は」思えない。

独り言、、、要するにマスコミのネタでは?