罔兩庵日乗 mouryouan’s diary

私的思索散話妄言覚書

自殺しない理由と、その根拠 ,,200602

自殺しない理由と、その根拠 ,,200602

「あなたが自殺しない理由と、その根拠」を教えてくれ。と、云う設問があった。
痛い、面倒、と云う問題はクリアされるとしての設問だとしよう。

全く無痛であって、簡単にあっさり死なせてくれて、法律的にも問題なくて、後始末も願い通りにしてくれるとして、それでも死を選ばないとしたら、その理由は何か?
と、設問を厳格化する。

さぁ?如何??

まず、残った近親者に心理的迷惑をかけたくない事か考えられる。
ごく普通の精神性の人々ならば、死を選んだことは悲劇なのだから、何らかの救いを与えられなかった自分を責めることは容易に想像出来る。
事実は全く違うと云うことを納得させることは、またまた面倒なことだ。
だから、せめて両親がいなくなるまでは自死を堪える、と云うこともありがちなことだと思う。
だから、母親が死んだ直後に自殺をすると云うヒトは、マザコンと云う場合もあろうが、そうではなく、それまで我慢して生きていただけ、と云うことも多いと思う。

子供の場合は、成人して自分の生活があれば精神的には問題は少ないと思われる。

次に、存在論的不安。
無になってしまうと云う、原理的に想像出来ない事態への言い様のない不安。

死への不安。虚無への不安。
それへの何らかの解答を得て、その答を腹の底から納得出来ない限り、その逃れられない不安を取り敢えず忘れたふりをして生き続けるしかない。

故に、自殺をするためには。
まず社会的、肉体的問題をクリアすること。
つぎに、近親者(親、配偶者、子)にその自殺を納得してもらうか、近親者(親)がいなくなるまで待つこと。

その上で、存在論的不安を自らの思索と修行によって理解しかつ心底納得すること。

最低、以上が必要条件となる。

その上でやっとに、生き続けることを強く拒否する動機が効いてくるわけだ。
……まぁ、その動機自体はヒトそれぞれだが、わりとそこら中に転がっている。

 ○ ○ ○

だから、以上あげたざっくり4つの条件のうち困難な順にまとめるならば、

1番困難なのは、社会的困難(わざわざスイスに行けないとか)と、肉体的困難(国内では安楽死が不可能)。痛そうだし、面倒くさい。

2番目に困難なのは、存在論的不安を失くせないこと。
哲学的、宗教的困難。

ここから難易度はぐっと小さくなる。
3番目は、近親者を嘆かせないこと。

そして最後に、生きているより死んだ方がましと思えること。
これは、そこら中に転がっている。

と、逆から云うと、
形而上的に生死を明らめた、或は宗教的に悟った人間にとって現実的な困難はほぼ安楽死を許さない社会制度だけということになる。

これで、回答になっているのだろうか?