罔兩庵日乗 mouryouan’s diary

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山は変わったか? その1.遭難 ,,200523

山は変わったか? その1.遭難 ,,200523

「……山は、変わってきた気がします。今思うと、本当に、自分にとってベストな時期に、山を歩き、殿や、○○、○○に出逢えたんだなと感じます……」
ふたまわり以上歳下の友人からのたよりだ。
殿と云うのは小生のアダ名。(笑)

まったく同感。
同感ながら、言葉尻をあげつらうと

山は変わらない。
たぷん、人が変わった。
いやいや、勿論、人も変わらない。
山に来る人の種類が変わったのだろう。

すなわち、世が変わった。
世の流れが変わった。
と、云うのが正確なところだ。

で、どう変わったか、まず

「遭難に対する態度が変わった」

またまた、正確に云うと、
遭難に対して昔の人とは違う感覚の人が多くなった。と、云うべきだろう。

世は全て幼児化○性化している。
黒でなければ白。
暴力なら全てダメ。
ルール違反に大も小も無い。
……物事にグラデーションと云うものを認めない。

遭難はあってはならない。
自分は正しい登山をしているのだから
遭難しない。
よって、もし遭難とたとしても、それはたまたまな確率の問題と不運だから救助要請は恥ずかしくもない。
よって訓練よりも容易に安く救助されるような仕組みを作ればよい。

保険に入ればよい、GPSを持てばいい、正しい道以外は入ってはいけない、決められたことしかしてはいけない。
保険に入らないなど非常識。

そう云うことになったらしい。

自粛警察か、さもなくば非常識パチンカー。
黒か白か。
日本的である。

 ○ ○ ○

残念ながら長く多く歩けば遭難らしきことは必ず起こる。

大事なのは、遭難らしきことを、大事に至らせないことではないか?

軽い道迷いで終わらせること。
ビバークから体制を建て直して翌日下山すること。
怪我の応急手当をして自力で林道まで降りて病院に駆け込むこと。
ツェルトの中でびしょ濡れの服を着替えて低体温症から免れること。
…………。

その上で、二度とそんな目に会わない策を練ること。

で、それでもまたまた思いがけないトラブルに会う。
その度に少しづつ賢くなっていくことが、山歩き、と云うものではなかったのか?

山頂になるべく楽に立って、絶景を楽しむことばかりが山ではない。
いや、むしろ思い出に残る山は、
『泣きそうな目にあった山行』ぱかりではないか?!

辛いは楽しい。
それが、山。

山を歩き、山で寝て、時としてとんでもない目に遭うことによって、下界での苦しみが、相対的に「どうでもいいこと」になっていく。

そう云うこと全てが、山から離れられなくしていたのだと思う。

行儀の良い、良い子ちゃんが同じコースを行列をつくって、山小屋や山頂で押し合いへし合いして、毎日誰かがヘリを要請しているような山に行ってもウンザリするだけだ。

裏山で昼寝でもしていた方がましだ。

 ○ ○ ○
遭難はしないようにすることは出来ないが、

・遭難しそうな雰囲気を察する、カン働きを磨くこと。は、出来る。
(音楽聞きながら登っては、カンは働かない)

・小さなトラブルを、大きな遭難にしないこと。これも、学べる。

・その為の装備。それは、軽量化してはならない。
ペラペラの軽いザックは買っても良いが、ツェルトや(着ないかも知れない)ダウンを置いていくのは筋が違う。
(どうしても、薄衣軽装のトレランさんには違和感しか無い。自分は絶対怪我をしないと思っているとしか思えない。その格好でヘリを待っててたら凍死しそうです。ハイ)

そして何より
・「自力で帰る」根性とプライド。と、その限界の判断。

そーゆーことが、やまのぼりってことだったと、そーゆーのは古いんでしょうね。

恥を恥とおもわないってなところが、一番変わったのかなぁ???

 ×子と小人ショウジン養いがたし。とは、永遠の真理か、、、

   閑話休題

今回の騒ぎで、日本も許可制にすべきとの議論もある由。
富士山とかね。

(ところで、富士山で新入社員全員のぼらせる頭おかしいクソ迷惑な会社は、どうするんだろう?)

なるほど、その方が良いかもしれない。

小生は、もはやおよびではない。
そんなところ行かないから、関係ないです。ハイ。