罔兩庵日乗 mouryouan’s diary

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サルヴァトール・サルヴァンドス~「VALIS」概略 ,,200501

サルヴァトール・サルヴァンドス~「VALIS」概略 ,,200501

「VALIS 」P.K.Dick p192
サルヴァトール・サルヴァンドス
救済される救済者

◯ ◯ ◯
やたら意味不明の書き込み(自分の)のある「VALIS 」をゆっくり再読した。

「聖なる侵入」 も続けて再読するつもり。

(「ティモシー・アーチャー~」
と「アルベマス」も、、、)

とりあえず、結論トシテは、
やはり、ディックは「違うかなぁー」

 ○ ○ ○

概略を述べれば、「VALIS 」とは、二面性を持つ。

第一に「二流のSF」小説であり、
第二に「二級の哲学書」かつ、「不毛な宗教の試み」である。

SFとしての評価は知らないが、文学的価値が然程高いとは思えない。

つまらない仕掛けはたくさんある。
が、SFとしてみても、文学としてみても、どうなんだろう??

小説としては、

ディック = ホースラヴァー・ファットのサルヴァトール・サルヴァンドスへの覚醒(成功したかは不明)の、捩くれてひねくれたビルドゥィングス・ロマンBildungsroman(成長小説)だ、と云えなくもない。

少なくとも表面上は、【全くSFらしくない】小説です。

表面上はたいしたことは起こらない。
ま、人は何人も死ぬ。
自殺しきれない分裂症のおっさんの、神秘体験を妄想して書き付けた日記と、少しイカれた仲間たちとの日常のソープオペラ、、、

シリウスの三つ目宇宙人だの、不死の初期キリスト教使徒だのは単なる妄想内の話で、事実でも現実でも無い。

唯一、SFらしい2才の天才的少女もすぐに死ぬ。
彼女の台詞は本当なのかしら?妄想なのかしら?

終始、なにもかもただの妄想。にしか見えない。
そして、ただの(風変わりで死に満ちているが)凡庸な日常。

救済の妄想がまとまりを持てば、すなわち宗教。である。

と、云うわけで

この本の、カルト的たる所以は、小説そのものではなく

彼の妄想を末尾にまとめた
『トラクタテス クリプティカ スヌリプトゥラ』
なる、デイック教の経典にある。

「VALIS」の小説としての部分 はディック教の経典の舞台なのだろう。
そのお芝居は、法華経よりは荒唐無稽ではない。

小生にとっては、ある程度説得力はあった。
が、小説としてはやはり二流だと思う。

◯ ◯ ◯

さて、問題の創作経典。

ディックが選んだのは(与えられたらしいが)、各種グノーシス思想を選別して、キリスト教神学やオカルティズムを混合し、更にドゴン族の神話(シリウスミステリーで有名な)を加味して編集し直した予定調和の神学のようだ。

昔思ったことを、思い出した。
「研究する程の価値は無い」

人類の思索の精華は、哲学者に任せよう。
小説家は頑張っても、戯作者から脱っせない。

故にこれは哲学としては問題外だし、宗教としても、、、

妄想にも、教養と思索と表現力が必要と云うことはわかる。
……訳者に謂わせれば、教養がディックを狂わせた、らしいが……

そのへんを、楽しめるか否か?
そのあたりで、評価が別れるのだろう。

勿論、理解することと、納得することは別だし、納得することと信じることも又別だ。

あー、その前に、
「救いを必要としない人々」
には、宗教も、思索も、哲学も最初から不要だ。
無駄にしか見えないだろう。

それは無知ではない。
仏教の言葉を借りるなら「無明」と云うのが近い。

博学な無知、利口なバカは矛盾だが、博学でお利口な無明は其処ら中にいらっしゃる。
例えば、テレビのワイドショーのコメンテイターを思い浮かべれば良い。
醜い○○エモンとか。

それ(救いを必要としないこと)を幸福と呼ぶのなら、幸福と消費はほぼ同じことなのだろう。

神は、iPhoneを握ったミッキーマウスかもしれない。

それが、資本主義と云うものだ。慶賀。

◯ ◯ ◯

とりあえず。
ディックは狂っている。

オッケー?

その前提での話だ。

世界がそもそも狂っているならば、その世界のなかで救われるものは狂っている(ように見える)はずだ。

それも、オッケー?

そこから先は、個々の物語だ。

VALIS が、ディック個人の物語だとして、
それをエリート思想だと云うのは当たらない。
石に視力が無いのと同じこと(スピノザ)だ。

つまり、天命。

ところで、サルヴァトール・サルヴァンドスはファット=ディックのみならずや?如何?

PS 誤解無きように。悪く言ったみたいだけれど、小生、ディックの大ファンである。

これは、大それた小説であることは間違いない。
ただ、エチカやツェラトウストラと、比べれば、と云う話だ。