罔兩庵日乗 mouryouan’s diary

私的思索散話妄言覚書

危険と経験と山と人 ,,20200213

危険と経験と山と人 ,,20200213

高みに立てば下界は手に取るように解るが、低いところから高いところの様子は解らないものだ。

 ◯ ◯ ◯

同様、経験の深い者から見たら自明のことも、経験の浅い者には全く理解できない。

若く何事も経験の無い時に、恐ろしくてビクビクしていた事も、年を経て振り返ってみると、何を恐れ何で躊躇していたのか首をかしげる事もある。

逆に、経験の浅い頃、平気でやっていた事が後から考えると知らずに薄氷雪庇を渉るような危険きわまりなく、たまたま何事無く生き延びたただけだと身震いすることもある。

そして、それも因果、これも因果と懐かしく思える日がやがて来る。

 ○ ○ ○

上に書いたことは、山での経験を念頭に書いたのだが、人(特に異性)との出会いもまた似た様なものだと感じる。

理不尽に去られて嘆いたことも、後から思えば「助かったー」とわかることもある。

逆に、嫌で嫌でやっと逃げれたはずなのに、ずっと後になって深く後悔することもある。 

 ○ ○ ○

ただし、山での経験と全く異なるのは、後に感じたことが真実か否か又定かならざる点だ。

そして、還暦間近になって思うのは、
結局の処、いかなる外的内的美点をもった女性と一緒に居るよりも、独りこそは比較になら無いほど素晴らしい、と云うことだ。

……まぁ、80や90になり身体も弱り気が萎え死が目の前になれば、また違う感想になるのかもしれない。

所詮、人とは迷い続けるものなのかもしれない。
ならば、経験とは無意味なのか?

うーん。。。
今のところ、独りこそ極楽、との確信に揺らぎは無いが、さりとてそう言い切る自信も無い。

たまたま偶然に小生のみが特別に、自由を素晴らしいと心から思える現在に至ったと云う事……必然的普遍的真実では無い、と云う事もあり得る。………
が、ならば尚更、この幸福な境遇、これまで出会った人々に感謝せずばなるまい。

畢竟、ヒトは独りで産まれ生き死んでいく事に間違いは無いのだから、独りを幸福と感じれるならそれに越したことは無いではないか?

良い人に出会わない、と云うこともまた神の外的援助に他ならない。

とりあえず今のところの結論は、
「自由なる精神にとって、女とは90%災厄でしかない」

嗚呼又、正直者は敵を作る。

 🌸 🌸 🌸

今日も独り清々しい朝が迎えられた。
他人に遠慮も気兼ねもなく、予定も仕事も約束も無く、身に痛みも苦しみも無く、心に葛藤鬱屈も恐怖無く。

さて、どこに散歩に出かけようか?
極楽極楽。
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