罔兩庵日乗 mouryouan’s diary

私的思索散話妄言覚書

ダークツーリズム in 京都 ,,20191114

ダークツーリズム in 京都 ,,20191114

○魔都 

言うまでもなく京都=平安京は、親族殺し桓武オブセッション(強迫観念)が怨霊から逃れる為に作った魔界である。

都と云うものはどこも、京(首都)と云う象形文字を見るまでもなく(上の点は魔除けの晒し首である)血塗られているものだが、そもそもが怨霊(とクソ坊主)から逃れる為に作られた都と云うのも珍しいのではないか?

菅見によると、桓武と後醍醐ほどに血塗られた王、即ち帝王と呼ぶにふさわしい王を日本史は持っていない。

権力への狂気、その「まともでなさ」、を支える政治力・権力・運を持ち合わせなければ帝王とは呼べない。

大魔王崇徳院は所詮負け犬だし、武烈は(日本書紀を信じるとしてだが)単なるサディストの変態だ。
……天武はちょっとわからない。

☆魔都たる由縁の詳細は小松和彦あたりを読むべし。

……怨霊信仰、言霊信仰、共同体絶対主義、念力主義……日本は全く変わっていない。……

この、いやな国の原点を見て回る、負の遺産の物見遊山、謂わば歴史的ダークツーリズムには、京都ほど密度の高い地域はない。

○スタンプラリー

小生にとって観光とは、単なるウォーキングひまつぶしのモチベーションをかきたてるための、スタンプラリーである。
要所要所は歩きのモチベを継続させるためにあるポイントにすぎない。

基本、宗教は全て狂気で悪。
そして、権力は醜く、嫌い。
人のやることなど、つまるところ下らない。

殊に京都には古いものは焼けてほとんど残っていないし、宗教設備を有り難いとは思えないし、どうせ仏像や屏風の美術史的知識は少なく観てもわからないし、着物に至っては薄汚いとしか思えない。

……ってか、皆さん、偽物を見せられたって、どうせわからんでしょ?
二流品を見せられたってありがたく思うんだろうし。
鰯の頭も信心からってやつだ。

ま、深山幽谷を見すぎたばちあたりな門外漢にとって植林された紅葉も、人間がいじり回した庭も、さしたる興趣は感じさせてくれない。

自然の山や谷にはかなわない。……と、思ってしまう。

とは云うものの、暇潰しの人生にも運動は必要だ。
そして、我が家のご近所の散歩には飽きたので、たまに飽きの来ない街を散歩したい。

近くの江戸市中も歩きにいくが、たまには国中の他所の緒都市にも行きたい。
中でも京都、大阪、奈良などは飽きるまでの時間が長そうである。

結論。
京都は歩く為に行く、名所はスタンプラリーのチェックポイント。
だから、拝観も見学もついでまで、並ぶほどのの事はなく、金を払うのも真っ平。
どこまでも罰当たりな、ヒマツブシスト。