罔兩庵日乗 mouryouan’s diary

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「世捨て」とは「内なる他者の能動的な再構成」【2】

「世捨て」とは「内なる他者の能動的な再構成」【2】

⚫(私の)欲望は他者の欲望である。

と云う命題は、少しでもラカンにシンパシーを感じた者ならば当たり前すぎるほど当たり前なのだが、一般には今でもまだ異様なのだろうか?どうなんだろう?

わからない人にわからるように解説すると長くなりすぎるが、勘のいい人には下記を述べるだけで十分だと思う。

…………

不要なものでも、流行すると欲しくなるのは何故か?
行列に並んでまで他愛もないものを食べたくなるのか?
何故、昔の少年達は皆野球をしたのか?それが、何故今はサッカーになったのか?
ブランド品の価値って一体なんなのか?
… … … …
使う暇もないほど稼いでも、まだ寝る間を惜しんで働くのは何故か?
巨乳は何故、これほどまでに男たちを興奮させるのか?
… … … …

私の欲望は他者の欲望だから。 QED

⚫ワタシにオリジナルな欲望など無い。
ゼロだ。

 ⭕ ⭕ ⭕ ⭕

……余談ですが、

余談1.
……実は、感情の起源もほとんどは他者の感情だと思われるが、こと、欲望に関しては、ほとんどでなく、全てであるようだ。

余談2.
……これは、私的な言語、私だけに通じる言語があり得ないことと深い関係がありそうに思える。このことも今は置いておく。
(私的言語の可能性はウトゲンシュタイン、永井均に詳しい。)……

余談3.
ラカンの欲望は、欲求、要求、欲望の3つを峻別した欲望なので、一般に使われるより場合によっては狭い意味ではある。
例えば、乳児が乳を求める行為は、欲望には含まれない。 

余談終わり……

 ⭕ ⭕ ⭕ 
次に、

⚫一旦意識された表象(音声としての言葉、考え、映像)は無かったことにはできない。
と、云う話。

この現象を「呪シュ」と言っても良いと思う。

例えば、「このトンネルで殺人事件があったんだよ。」と、或トンネルの中で言われたとすると、その事実の真偽は関係なく不気味さや恐怖の感情はもはや消し去ることはできない。
言葉は、とりわけ音としての言葉は、真偽善悪無関係に全て程度の差こそあれ「呪シュ」である。

狭い意味の、所謂イワユル「呪い」は、極端にネガティブな例だろうし、「予祝」はポジテティブな例だろう。

……予祝と云うのは、「トイレを綺麗に使って頂いて有り難うございます。」とか云う類いだ。
まだ、やってもないのに「呪」にかけるわけだ。

他者の欲望も、(イクォールではないが)一種の呪として働く。

他者の欲望も、無意識に働きかけ、さらに意識されればなおさら、直接そのままにしろ、間接的にしろ、反発と云う屈折した形にしろ、ワタシの欲望に移植され、成り代わり、流入し、変化を及ぼさずにはいない。

無かったことにはできない。

特に、直接的にコミュニケートする他者の欲望はワタシの欲望に決定的に大きな影響を与えずにはいない。

朱に交われば赤くならざるを得ない。
それが、ヒトと云うもの、心と云うものである。

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ここで、ひとつ種明かしをしておくと。
これまで書いてきた「他者」とは、本物の人間でもあるが「言葉」と書き換えると、より正確なのだ。

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不健康な運命論

ワタシの欲望が、全て他者に起源を持つならば、ワタシの未来はワタシにはどうしようもなく、たまたま生まれて、偶然に置かれた環境に規定され、状況に流されて、押し付けられた欲望を求め続けて「運命にあがらえずに」生きるしかないのだろうか?

ごく、普通に考えてこれは不健康な思想である。

(ごく普通、でなく哲学的に徹底的に考え抜くとそう簡単に否定もできないのだが、それもまた今は置いておく)

確かに、ワタシの欲望がすべて他者の欲望だとしたら、そう気がつくまでの欲望には(基本的には)手をつけられないかもしれない。
プログラムのように完全なアンインストールは出来ないだろう。
(だから、やはり、意味不明でも小生も巨乳に欲情を感じ続けるだろう。)
が、しかし、
ワタシの欲望をワタシの手に取り戻そうと云う意思を持ったからには、その決心以降には、出来ることはある。

⚫ワタシは、ワタシの中に流入する他者を選択することは出来る。
⚫そして、求めもしない「呪シュ」を避けることも出来る。

⚫そして、自ら望む他者の欲望をインストールすることはできる。

一旦受け取った「呪」は、傷痕のようにもとに戻すことができないのだから、

⚫つまらぬ連中と付き合うことはやめ、テレビを切り、新聞を捨て、信頼するに足る価値ある本を手に取ろう。

「必要な情報は能動的に求め、それ以外の(どうでもいい、有害な)情報は受動的に受け取らないこと」、言い換えれば「不用意に知ってしまわないこと」が肝要である。
→つまり、受動的な情報の遮断、と能動的な情報の選択である。

⚫そして特に大きな「呪い」を与え、欲望を植え付ける、直接的にコミュニケートする他者達(これは言葉でなく人間)を限定し、さらに限定した人たちとも節度ある交遊をすること。
→これもまた、情報遮断の一種である。

ヒトはオリジナルな欲望を作り出せない以上、そして欲望無しに生きることが出来ない以上、精選した他者の欲望を導入して、その欲望を育てることがほぼ唯一の能動的な生の有り様ではなかろうか?

だから、逆を謂えば、例え自給自足で一人で暮らしていても「テレビを見て、新聞を読んで、ツイットしっぱなし」ならば、それは世捨てでは無い。

まず、マスメディアから離れること。
これが、最初にして一番大事なことである。
経済的コミュニティやギルドから離れること。
友達を最小限にまで減らすこと。

そして、理想的には、最終的に家庭から離れ、パートナーを持たないこと。

……萩原健一の曲ではないが「泣くだけ泣いたらお別れさ」🎵……が、正解なのである。

閑話休題 。。。

以上が、「内なる他者の能動的な再構成」の概括です。

繰り返し述べると、能動的な再構成とは、求めない情報の遮断と、必要な情報の選択的な受け入れを意味します。

尚、
ここでは、他者の欲望をコントロールすることのみを問題にしたので、何をインストールすべきか?とか、インプットされた情報をどう処理すべきか?等の重大な問題には触れていません。

✋ ✋ ✋

続く。
次は、「高度資本主義と欲望」