罔兩庵日乗 mouryouan’s diary

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「世捨て」とは、「選択的孤独」 【哲学 思想】

「世捨て」とは、「選択的孤独」 【哲学 思想】

まず、引用から。

『 社会の成熟していく段階の中に、物質的に満たされても心が満たされないという過渡的な状況がある。
中略
 現代のようにネットワークが幾重にも張り巡らされて以降は、🔴こうした孤独は「意志的に選択されなければ成立しなくなってくる」…………今や孤独な人は勝手以上に 好き好んで孤独になっているという印象を持たれやすい。
中略
 コミュニケーションのネットワークが発達してみて 初めてわかったこと、それは🔴コミュニケーションだけで満たされてしまう人達が大量に存在するという事実だ。
中略
…… 誰かと話をするって行為は先送りのための最良の手段……「欲望の無根拠性」というラカン的な事態がはっきり見えてくる。  』

斎藤環 『生き延びるためのラカン』p28~
🔴は小生。

まず、「世捨て」と云う行為は上記の「意志的に選択された孤独」だと云うことは説明するまでもなく、自明だと思われる。

(注記) この文章に関する限りは、取り敢えずスピノザ的自由意思の否定云々は忘れていい。

⭕ ⭕ ⭕ ⭕

何故ナニユエ、意志的に孤独を選択するか。

理由は、一つは
🔷「情報遮断」の為。
もう一つは、
🔷「内なる他者の能動的な再構成」為。
この二つは独立した事項ではない。

まず、「情報遮断」

情報の能動的な遮断、の概念は小生のアイデアでは無いのだが、誰から学んだのか思い出せない。
要は、現代に於いては、玉石混淆な情報が大量にインプットされ処理できず、知らず知らず資本や政府にコントロールされたり、白痴化させられたりしている。

注意すべきは、資本主義も民主主義も、どちらも建前は、自ら好んで選択するカラクリなのでコントロールされた病状だとは気付きにくいと云う点である。

この価値のわからない情報を一旦遮断しないことには、自らの必要な情報を選択することと探求することもできない。
必要な情報がインプットできなければ、思考は何の意味も価値も持たない。
コントロールされた情報で、コントロールされたアルゴリズムで思考するならば、それはスマホのアプリと変わらない。
……それが、現代の一般大衆である。
……この文を読んで、カチンとくるならば、まだ論理回路は壊れていないと云う事だから救いはある。

次に「内なる他者の能動的な再構成」
は、次回に。