罔兩庵日乗 mouryouan’s diary

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哲学的宗教と プログレッシブ宗教哲学【哲学】

哲学的宗教と プログレッシブ宗教哲学【哲学】

ワタシがここで哲学的宗教 と云う言葉で意味することは、例えばスピノザ主義のような哲学的な形而上学、それが昇華して宗教へと結実するものを意味する。
具体的には、エチカEODGの内容を抜粋し整理して、些細な個人的な儀礼を決めれば誰かにとってのスピノザ教になるわけだ。

これは、現代における唯一の正しい宗教の形(の一例)だろう。

…………。。
ディックは彼なりに完成させていたのだろうか?
VARISのテスタメントは、小生には部分的にしか理解できない。
そもそも、グノーシスの世界観は複雑さゆえ脆弱すぎて好みにあわないし、納得できない。
神学に来世とかの概念を導入するのは理論的にリスキーに過ぎる。
スビノザのDSN(神即自然)の方がアイデアとしてシンプル故に強固に思える。
一般に二元論より、一元論の方が論理的破綻が少ないような気がする。

話を戻す。

これ以外の形の宗教は、正しくない。

少なくとも、知的な現代人にその経典を信ずるのは無理だ。
社会道徳だのの便宜や方便としても、かっては有効だった部分もあったかもしれないが、今は害の方が圧倒的に多く、経済倫理的にも有害無益な存在である。

勿論、どのような無理無体非合理な思想信条でも内心持つことは自由だ。
この世のほとんどは、金と世間体しか考えていない忙しい人々なのだから、中にはいまだに自ら喜んで既存宗教のカモになりたい人もいるだろう。
どうぞ、ご自由に。

ただ、狂信の強要や、伝染は有害無益なので慎んで頂きたい。
ましてや、墓質(檀家に対して、墓が寺にあることをもって、各種寄付や儀式参加、訪問に対する金銭を強制強要すること)などと云う無法な詐欺強奪は言語道断である。
それこそ、釈迦の恥だ。

人間とは出来損ないの試作品だ。
精神は予め病んでいる。
……欠陥OSに、使いにくいシェル、バグだらけのアプリに、繋がりにくい回線でなんとか運用している瀕死のシステム……バージョンアップは無し。

だから宗教が必要だと云うのは正しい。
ニーチェ曰く、真実は醜い。偽の楽園が必要だ。
しかしながら、芸術や哲学は万人には無理がある。
宗教なら、なんとかなる。

しかし、その宗教が既存教団であってはならない。
彼らは2千年かけて失敗し続け、害毒を垂れ流し続けたのだ。
もう、信用するのはやめては如何だろうか?

では、現在の既存宗教が果たしている役割、葬式などの儀礼慣習はどうするのか?
そんなことは、小生が考える義理は無い。
各自、宜しくいたされよ。

とにかく、あらゆる既存宗教は有害無益でなるべく早く世界から歴史的な遺物となり果ててくれ。
その醜い愚かな姿を消すべきである。

が、しかし、これは実際は無理である。

何故なら、大部分の人類は、まともに哲学的宗教などと云うものを考える力はないからだ。
自分で考えれぬものを頼るならば、合理的でも非合理でも大して変わりはない。
心理的不安につけこまれ、いいように利用されるのは目に見えている。
水晶玉か清き一票か?……その程度の差だ。

これにかんしては親鸞が正しい。
「よきひとだのみ」すべからず。だ。

そもそも、
『哲学的宗教とは、一人一宗派であるべきだ』
そもそも、 
教団と云うシステムが悪の濫觴ランショウである。
仏陀エスのむかしは兎も角、今はもう教団の庇護がなくとも個人の思想は裁かれない。
寧ろ、集団は必ず自己延命のため堕落し、成員を犠牲にし、不善を為し、争いの種となる。
集団は多かれ少なかれ日本陸軍である。

個は腐敗しても消えるだけだが、集団が腐敗すると疫病の災禍をもたらす。

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ん?
教団と、既存宗教は罵倒しても批判してもきりはないが、表題の 宗教哲学 だ。

宗教哲学とは、普通に考えると、宗教を人間の精神活動のなかに、一般論として位置付ける仕事なわけだろう。

道徳規範に還元するような片手落ちの立場から、絶対者(キリスト教的だなぁ)との関係を掘り下げたり、個人の心理からとらえたり、哲学の方へ統一しようとしたり……ま、時代と立場により色々だ。

色々だけど、
⚪なんか無駄な仕事をやってるな~、って感じる。

ここからは、アカデミックな話でなく、完璧に菅見となる。

整理して、順に。

・人間に宗教は必要である。

・宗教にはたいてい固有の世界観があり、それは形而上学と対応するが、それだけではない何か(ヌミノーゼとか)がある。

・故に、どうやっても宗教を純粋な思想や哲学にとりこみ解消(無くす)することは出来ない。 

・そもそも、宗教に真理も整合性も無い。幻想であり、作り話であり、出来損ないの人間と云う生物を補完し治癒する装置でしかない。

・既存宗教は、一定の役割は果たしてきたが、今や道徳的にも政治的にも経済的にも弊害だけが著しく大きい。さらに、その神学は現在の水準の知性ではとても信じることはできないので、なるべく早く消滅させることが人類の利益だ。

⚪よって、↓↓↓

・人類は、新しい正しい宗教を必要としている。

・その、正しい宗教は、哲学的な形而上学を基礎として、現代社会に抵触しない宗教固有の要素を持ち、できるだけ非組織的で個人的なものであるべきだ。
少なくとも、組織的でない宗教が新たな宗教の中核になるべきだ。
何故なら、いままでの既存宗教の残虐性や弊害は、その集団性と権力指向がもたらしたものだから。

・非組織的な、正しい宗教を一から個人が作ること現実的には不可能なので、宗教を作る上で、その雛形なり、規範なり、プロトコルが必要だ。

・そのため哲学は形而上学を用意することと、宗教固有の何かが社会や道徳に反しないようなガイドラインを用意すべきだ。

宗教哲学 とは、その
形而上学 の規則と制限
宗教固有の何か の、規則と制限
宗教形成のプロトコル
運用上の規範
さらに、可能ならば、テンプレート

などを与えることを存在意義とすべきと考える。

例えるならば、個人的な哲学的宗教を新しい個人の
OS オペレーションシステム と、するならば
宗教哲学 は、
TRON のような、OS そのものでなく、
OSを成立させる約束ごと、プロトコルとなるべきではないか。

と、云うのが本論の趣旨。 

いままでの宗教哲学より、かなり突っ込んだ役割を担うわけだから、今までの区別して呼ぶならばだ、例えば

プログレッシブ宗教哲学

とか、如何でしょう?ナンチャッテ……やや本気……

と、一応話には落ちがついた。

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以下余談。。

既存宗教に厳しすぎるようだが、歴史と現状をみる限り、致し方ない。

宗教と、政治、司法、疑似科学が未分化であった昔のはなしは置いておくと、今現在の学問的知的水準として、「非合理な恣意的な公理から勝手に演繹して、構築した系で、現実を説明したり、道徳を正当化する行動体系」を十分知的な人間に納得させることは不可能である。

水の上を人は歩かない。
神は人の言葉は話さない。……云々

勿論、未開な論理の中に、思わぬ思想のヒントが見つかることもあるだろう。

唯識ラカンとの共通点も見つかるかもしれないし、そっちの説明の方がラカンより分かりやすいかもしれない。 
それなら、比喩として唯識を使えば良いまでで、
だからと言って大乗の方が精神分析より上と云う訳ではない。

精神分析の方がずっと世界の(一部の)説明としては合理的で整合性が有り有益だ。
(勿論、絶対ではないし問題山積みでもある。比較の話だ)

虚心タンカイに読めば、神学など、屁理屈でしかない。

(あっ、屁理屈は屁理屈で面白いんですよ。
たしかに、見事な論理のサーカスみたいで。
ただ、それだけのこと。トミズム大好き。)

ただ、1つだけ不安なことがある。
現実問題として、哲学的宗教だとか、プログレッシブ宗教哲学なんて当分……永遠かも……現れない以上、もし、弱い人間がコミューンとしての現実の宗教集団に参加することで安心を得たいと考えるならば、

『この先、盛んになるのは確実にイスラムであろう』

それも、また人類にとって困ったことではあるのだが。
小生の知ったことではない
どうせ、もうすぐ死んじゃうんだし。

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あっ、小生の話は何時も、わざと、だが、
『社会的な視点は無い』

……そんなことは、現実にどうやるのさ?無理じゃないか?
……

知らないよ。論理的には可能だし、学問なんて基本絵空事なんだから。
それに、すくなくともスピノザや、俺はやってるんだから。
独覚で結構毛だらけ。

現実に最大多数からなるこの社会を良くすること、そんなことは別の個性の人が語るべき事だ。

俺は全く適性に欠けるし、真っ平ごめん。
おら、上野千鶴子先生じゃないんだから。

それは、政治とか方法論とか得意な、目立ちたがりの役目。
例えば、良心的な学問のある僧侶とかどうかね?。
電⚪の袈裟を着た真宗の坊主とかがいいんじゃない?

自分の既得権益を守るためだ、それなりに頑張るでしょう。
どうぞ、がんばってください。

紅旗青戎我が事にあらず。だ。フフンフン🎵