罔兩庵日乗 mouryouan’s diary

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メメント・モリ より離れよ 【哲学】 

メメント・モリ より離れよ 【哲学】 

基本的に、哲学(の一部)や宗教が問題としてきた大きな切実なことは二つだと思う。

生の苦、と、死の恐怖。

生きると云うことは苦痛の連続である。
このことは、解説不要だろう。

(菅見だが、日本の仏教は仏陀の教えのこちらだけにしか興味を示さなかった。故に、浄土系が極端に好まれたのだと思う。門徒は死を然程嫌わない。)

一方、死は恐怖である。と云うこと。
このことには、やや説明がいる。
一般に全ての人が死を、正しく恐れているわけではない。

せいぜいが漠然とした不安。

死の直前に恐れるのも、自我の消滅程度であって、存在そのものの絶対的な非可逆的な無への転落といったハッキリとした事態に対する恐怖ではない。

だから、魂だとか、お墓だとか、あの世だとか能天気な戯言を言っていられるのだと思う。

存在がなくなるとは、世界への視点が無くなることだとわかっていない。

仏陀のセンスからはるかに外れてしまっている。日本のお葬式。

死を正しく恐れるには、恐れ続ける時間と、恐怖の成長……悪く云えば長い長いオブセッション、よく云えば言語的な教養が必要であり、何れにしてもそれは業とでも云うような、説明し難い生まれもった呪いのようなキャラクターに由来するとしか言いようがない。

宗教的な、或いは、哲学的なセンスと言い換えても良い。
あまり、持って生まれて有り難いと云うような、センスではない。

死に至る過程への恐怖でもなく、漠然とした自我の不在でもなく、自己にとっての世界そのものの絶対的な非可逆的な消滅。
ある人曰く「永遠の存在消滅」。

「私を忘れないで」と言って死に臨んだ作家がいたが、彼の人が恐れたのはナンだったのだろう。?

消滅した存在にとって、世界がその記憶を持とうが持つまいが何の変わりがあるのだろう

死の後、何かが残ると確信しているなら、そもそも恐怖はない……のではないか?

世界がワタシを記憶している限りにおいて、ワタシの何かが存在し続けると云う事なのだろうか?

ま、柳田だったか、個の霊も三代たてば祖霊に交じる、とも云うらしいからそのような感覚は我が国では普遍的なのかもしれない。

要するに、confusionなのだろう。

存在が無くなると云う事態は原理的に想像が出来ない。
それは、恐怖と云うより極度の不安なのかもしれない。

ウンウン。それは小生も同様。……その、感覚はわかるよ勿論。

その先……。

そして、その想像できないこと以上に確実なことはこの世に何一つ無い、と云うことも不愉快極まりない。

そもそも、世界がワタシと云う意識から一方的にしか開示されないと云う事態がありながら、そのワタシと云う存在無き後も何事もなく存在し続けると云う事態が上手く理解できない。

だからと言って、独我論的に、ワタシの存在と共に世界が消滅する、と云う事態も又何を意味しているかがわからない。

つまるところ、死のうが生きていようが、世界もワタシもその関係もわからない。

、、、、、

更に?、
死の恐怖の嫌らしいところは、生にじわじわと浸食して日常を腐蝕し痩せ衰えさせるところである。

生と日常への軽蔑。社会と人類への嫌悪。

存在の消滅の恐怖は、存在とは何かへの疑問に繋がり、存在への不安は、日常への不信に繋がり、日常を……やがて永遠に完全に消えてしまう存在の世界の中だけで平気で生きる人々への軽蔑に繋がり、そのような人々で成立する社会への軽視と忠誠心の欠如に繋がり、結局の処自分で自分の居場所を無くしてしまう。  

実際、社会にも人々にも諦めと軽蔑しかなくなれば、もう面倒くさくなっていっそのこと突然死が幕を下ろしてくれれば良いのに。とさえ思えることもある。

死ぬまで、不思議の国のガリバーかよ?うんざりだ。。

しんどい思いをして、何かをするのは止めよう。
正義も善意も愛も破壊も憎悪も復讐も献身も、無駄じゃ無駄じゃ、徒労だ。

プロテスタントの倫理と資本主義の精神なんてタワゴトはクソクラエだ。バカじゃなかろか。

どうせ死んでしまうのだ、ワタシにとってはワタシの存在の無き後、端的に何も無い。
nothing.
ワタシが何事を成しても(なさなくても)全く変わらず確実に無意味なのだ。

そこまで考えているワタクシすら無意味なのだから、その有るか無いかわからぬ日常に愚にもつかぬ意味を見いだして粉骨砕身一所懸命ソープオペラを演じている人々
の比較対象など一顧だにする価値はない。

比較対象とは、仕事だの、金儲けだの、名誉だののことだ。

ここでは略すが、世界に目的も意味も無い。
故に、ワタシの存在にも所与の意味は無い。

因って、ワタシの存在は、その消滅までの須臾(しゅゆ)の間の無意味な暇潰しでしかない。

死の絶対性は、その無意味な暇潰しに、社会と隣人への軽蔑を加える。

全く、なんともはや……だ。

勿論、もしワタシがALSだったら、もっとシビアな、また別の考えを持つだろう。
しかし、これが今回の因果というやつだ。
無意味な仮定をしている程の余裕はない。

どちらにしろ、人はその開示された世界の中で何らかの暇潰しをすることにしか救いは有りようもない。

泣き言を言っても仕方ない。 

快楽なり、美なり、酩酊なり、狂気なり……できればより高雅なお楽しみを見つけることだ。

救いは、何れにしろ、然程時間はないこと。

メメント・モリより離れよ。
死神を戯れることなく、道化と踊れ。

狂信者は狂信者の天国を夢見る。~
詩人よあなたの言う通りだ。