罔兩庵日乗 mouryouan’s diary

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山水逍遙芸術論 序【雑】

山水逍遙芸術論 序【雑】

山登りと山歩きは違う。
と、云う話は取敢えず置いておく。

『受け手の芸術』 と、云う言葉は多分、青山二郎の本で見たのだと記憶する。
つまり、大抵の芸術は、芸術家本人が作品をアウトプットすることをもって芸術活動とする。
即ち「送り手の芸術」なのだが、時に既存のものを解釈し玩味することをもって芸術活動とする受動即能動たる芸術もある。と、云うことだ。

青山二郎は、茶道を評するにこの言葉を作った。

小生、愚根にして茶など知らず。
この言葉を以て、山歩きの指針として今に至る。

例えば、美術館、展覧会、旧跡を巡るが如く山野海浜を歩くことを楽しみとする。

そもそも、芸術哲学と、商業やスポーツとはヒトの活動としてまるで正反対の事柄なのだとの思想を持つ処の小生としては、山歩きをスポーツだのスタンプラリー(百名山)だのに堕する輩は思慮の他、李白に倣えば瓦石と同じ煩わしきのみにて眼中に無し。

山野凡夫充つれば、寧ろ陋屋に蟄居するに如かず。
とは云え、堪らずまたウルトラライトを担ぎて漂泊するも性サガなる哉、命なる哉。