罔兩庵日乗 mouryouan’s diary

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超弦理論 - 空間は幻想、の意味など 【読書 雑】

超弦理論 - 空間は幻想、の意味など 【読書 雑】
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(大栗先生の)超弦理論入門 大栗博司 ブルーバックス
⬜2018 10 25
26⬛読了 富山市立図書館にて

☀ ☀ ☀

久々自然科学の本を読んだ。
出来るだけわかりやすく、しかし誤魔化さずに書かれたらしい。

確かに、はしょった説明が「理解できて、納得できた」としたら、たいへんわかりやすい。

つまり、はしょった部分が多すぎ、飛躍が大きすぎ、わかったと云うよりは、わかったことにしませう……と云うのが正直な感想。

それにしても、とりあえずブルーバックス一冊でほとんど数式も使わずに説明するのだからたいした苦労だと思う。
本人が全部書いたのだとしたら、ものすごい筆力、文才もある人だ……

この人、同い年。
まったく、馬齢を重ねるとは拙者の事。忸怩たり、汗顔なり。

オイラーの定理ってのは例の「博士が愛した数式」以外にも沢山あるらしいがここの

1+2+3+……=-(1/12)   ってのには、ビックリした。
巻末の解法をみても、なんか納得いかない。

だって、 ∞=-(1/12)  って、一体何よ???
ま、とにかく一旦これを認めれば、

故に、9次元でのみ超弦理論が成立する。
故に、超弦理論が統一的な説明原理ならば、世界は10又は、11次元
故に、…………
は、なんとなく理解できた。
うんうん
超次元も了解できた。
ホログラフィック原理も、なんとなくわかった。
宇宙の年齢の調べ方ももわかった。

いまいち、ピンと来ないことは、今後何冊か続けてこのての「素粒子」「数学」関係の本を読むとする。で、わからなきゃ、あきらめる。

くりこみは仮の措置なのか?とか、多次元での対称性とか、自発的破れとか、6次元の2次元投影図とか、色々な事がいまいち字面だけ理解したが、腑に落ちていない……
むしろ、数式をたどった方が腑に落ちるのだろうか??

腑に落ちるとは、生理的にモヤモヤしなくなる、くらいの意味です。……

閑話休題

理論には無関係ながら2点だけ。

○その1 センセーショナルな誤解 --空間は幻想か?

ホログラフィック原理などから次元の意味が問われている事、故に次元が幻想である。故に空間は幻想である云々。
このとき使われている、「幻想」なる言葉は、日常の用法とははなはだしく異なる。

著者の、或いは科学者一般なのかもしれないが、「幻想」なる言葉の定義は

「何者かより根元的なものから現れる二次的な概念」
(本文より)の、意味である。

だから、より高次の説明原理が証明されれば、現実は何時でも「幻想」に降格する。(だよね?)

一般には、「「幻想」」とは、表象と対応する(何らかの)実在が存在しないことを指すように思う。
まぁ、すると、実在とは何か?存在とは何か?対応とは何か?……と云う面倒な話になってしまうのだが……

ま、定義次第と云えばそれまでだが、一般人にとっては
、上記の二つの幻想にはかなりの隔たりがある。(でしょ??)

大衆の無知につけこんだ、センセーショナルなコピーライトはよろしくない。

哲学なんかで、「世界は幻想」だと云うのと、科学的数学的に「空間が幻想」だと云うのは重みが丸で違うのだから……。

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その2 わかる、と云うこと。腑に落ちる、と云うこと。

数式も言葉の拡張だとして、
自然科学的に、わかると云うこと、は結局言葉の問題なのだな。
と、云うこと。

長くなるので、要点だけ覚え書きにする。

物自体 だか 現実界だか 神或いは自然 だか、なんだか名前はわからないが、「この世界のありのまま」を、わかると云うことは、言葉で整合的に記述できると云うことなのだな。
と、思った。

言葉で整合的に説明できる、ことが、真実の定義ならそれはそれで良いのだが、
(無矛盾だが真実ではない、と云うことは定義から有り得ないから。)

そんな真実なるものは、この世界のありのままを、うつしとっているわけがない。
控えめに言っても、うつしとっているとは、言い切れないのではないか?

いや、言い切れるわけがない。

ここから、少し飛躍するが
「ことば」は結局「真実を写し取れない」のではないか?

……その証明はスピノザを引けば簡単なのだが、それに普遍的な説得力があるとは思えないので止めておく。……

えー。もとい。

それでも、宇宙の、世界の統一的説明はなされるべきだろうし、その努力は尊い
とは、思う。

科学的営意には、意味も価値もある。

何故に?
で、考え込む。
何故に世界は言葉で写し取られるべきなのか???

それには、いろいろな解答があると思うが、1つには

凡夫にも、悟る(必ずしも仏教的な意味でなく)チャンスを与えるためかもしれない。

世界を、或いは真実を、錯覚でなく 腑に落とす方法。
それが、少なくとも勉強すれば不可能ではないと云う、幻想(注記)が衆生には必要なのだ。

要するに、科学とは南無阿弥陀仏六字の名号と変わらない。

(注記;この幻想は、「現実的には無同様」的な文学的な意味でス。上記2つの幻想とはまた違う……言葉は面倒くさいのだ)

◎ 腑に落ちるとは、生理的に安心することだと思う。

うーん、超弦理論とは何の関係もない話になったな~。