罔兩庵日乗 mouryouan’s diary

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断腸亭日乗雑感-1.大正七年1918- 【本】

断腸亭日乗雑感-1.大正七年1918- 【本】
2018 09 21金)記

断腸亭日乗永井荷風の38歳から79歳で亡くなるまでの長大な日記也。
あまりにも巨大な山脈にて、腰引け近寄らず……が、巡り合わせの不可思議、何故かその機会とやら来たらしく手に取る。
折角なので、その中から興味をひいたことを抜き書きし、多少調べて、その跡など歩き、雑学、感想など書き留めるタイと思う次第。

1日で1年分読めば、約30日で終戦後昭和23年まで読める。終戦後は、あまりボリュームも読むべき事もない由。
断腸亭をすべて読んだ人は少ないはず。ましてや……
岩波すら抄録にて。小生も久しぶり、大菩薩峠以来の長編哉。

さて、
荷風の亡くなった、つまり日記の終わった2年後、小生は生まれた。
小生の人生は断腸亭主人とほぼ、入れ替わりだ。

ちょぃと調べたら、この年、少し年下の北王路魯山人やレイモンドチャンドラーも亡くなっている。
……結構、生まれる少し前に亡くなった人に影響を受けるものなのだろうか???

永井荷風
金阜山人 断腸亭主人1879~1959 昭和34 没79才
の日記は謂わずと知れた「断腸亭日乗」。
日記とは云うものの本邦の日記文学の系譜に連なるもの為れば発表を前提の日記なので西洋的なdiaryとは自ずと又違う味がある。

西洋の往復書簡が、第三者に見られることを前提にするようなものか。

断腸亭日乗 1917大正6年9月(39才トアルガ数え歳?)~ 1959まで
(1912大正元年大正12年0901関東大震災)
荷風まだ40前なのに随分古淡老人の様に見えるのは病弱のせいか?、と思ったが一病息災随分長生き。

読み始めたが、ともかく長い、オモシロイ。……江戸東京地理風俗の宝の山だ。
戦前の没落したり、破綻したり "しなかった" 、大金持ちの放蕩知識人、言ってみれば『成功した高等遊民』と云うものは、意外と居ないものだ。
荷風は珍しい。

本来なら、軍医のトップまで行ったドイツ文学の鴎外、初の公費留学生英文学の東大の漱石にやや遅れるが、彼等と並んで、慶應義塾のフランス文学の荷風、となっても可笑しくなかった。
が、ならなかったから病弱なのに天命を全うできたのだろう。

放蕩よりも仕事の方が命を縮めると云う良い例か?

閑話休題、、、

とりあえず、大正一杯。できたら昭和20年まで頑張ってみるつもり。

 ⭕ ⭕ ⭕ ⭕
本文、はじめます。

大正六年は、短くあまり面白い記事も見当たらないので、まず、

大正七年から、

⭕臙脂
「三月朔。……夜臙脂を煮て原稿用罫紙を摺ること四五帖なり。」

エンジは赤い染料だが、紅花か虫から採るらしい。
虫とは思えないし紅花とも思えない。
何か、煮ると紅い色の出来る「エンジの素」みたいなものがあるのか?
しかも、自分で紅い罫線の原稿用紙をするらしい。
金はあるのだから、美的な趣味で自分で版画みたいに印刷するのだろうか?まさか、ガリバンとは思えないし?

自費出版
「三月三日。……腕くらべ印刷費壱千部にて凡金弐百六拾円。此日東洋印刷会社へ支払ふ。」

「四月三日。腕くらべ五百部ほど売れたりとて新橋堂より金四百円送り来る。」

印刷費が260円、どうも紙は色々探しているから紙代は別らしい、プラス諸経費で合計が如何程かは不明だが、利益は800円になるらしい。
販売手数料が500部について100円と推測すると、丁度一部1円の計算になる。
どうも、悪くない利益に感じるのは下衆だからだろな。
荷風先生大金持ちだからね。
→あとから、計算すると、1円はたったの千円!
全然儲からないな??

米騒動
8月には米屋が襲われて飲み屋が開いてない等と、三田文学の先生のんきなものだ。
調べたら、やはり7月に富山で起きた米騒動がもう東京にひろがったのだ。

さすが金持ち浮世離れしている、これぞ呑気館、だ。
(わかる人はわかる……もう皆、泉下か……)

先生、薗八節と云うやつにご執心だが、全くなんだかわからない。清元も長唄も端唄もわかりはしないが、、、

とにかく、庶民が米が食えなくて暴動を起こしてるときに、三味線のおさらいだ芸妓だと遊んで暮らしてるのだから、全く浮世離れしてた人々だ。

まぁ、そんなところからしか芸術は埋まれないのだろう。
労働は芸術の敵。

堀口大学
堀口大学が始終来ている。
やはり、慶応だ。文学部中退。荷風の生徒にしては年が近い。氏をつけて、雅号で呼んでないので友人やとりまきでもないらしい……
「月下の一群」は1925で、まだ先。
「月とピエロ」の序を請われている。1908発表とあるが?

⭕家を売る。

十二 五日 
断腸亭のあった、実家牛込の土地を売った清算をしている。
年末に築地二丁目に越している。

差し引き二万三千三百円
その他に、書画骨董がかなりあるので、約三万円金がころごりこんだ。……税金の計算がないのだが?

いくらに当たるのだろう?
↓注記)

⭕芸者
前に一緒に暮らしていた芸妓を見舞って
「春より情交なし…」友人のごときなり、とか。

このころは八重福と云う芸者がお相手のようだ、

「この妓無毛美開……一緒に風呂に入り……」とか、羨ましい限り。
美開って、なによ?Xvideoかよ(怒)(涙)。

やはり、貨幣価値が違う。
今ならこんなことしていたら3000万円なんてあっという間に消えてしまう。

でも、結局、芸者ってf×c×、させるのね。
なーんだ。やっぱりねー。

でも、荷風先生、イケメンじゃないのに女の方が積極的みたい??
金持ちだから?

七年了~続く

注記) 少し、当時の物価を考察してみたが、長いので別に分けた。
大正10年と14年のデータでザックリ換算すると
物価指数で比較すると1円は現在の1000円
所得で比較すると  4000円
所得格差も甚だしい。
文脈で、比較を変えるべきか?

地価は上がりすぎて比較対象にならない。都心一等地34万倍以上