罔兩庵日乗 mouryouan’s diary

私的ナ思索ト逍遙ニマツワル散話妄言覚書キ

『兀狄山人漂泊録』は、こちら↓↓↓

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http://gotuteki.hatenadiary.com/

主題は、旅 と 飲食。

【山】【旅】【散歩】【ポタリング】【UL】【MYOG】
山と山道具、UL ウルトラライト MYOG メイク ユァ オウン ギア(山道具自作)、歩き旅、自転車旅、野宿、聖域と遺跡巡り

【食】【業務スーパー
B級グルメ 業務スーパー 料理 等

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こちら、『罔兩庵日乗』
主題は、哲学思索読書等の覚書。

……極主観的私的個人的な
突発的思い付き、形而上学、哲学、思想、思索、菅見、私見、散話、妄言、極論、暴論 等々 の
覚書 ですので、気に障ったら 通り過ぎてください。

罔兩庵日乗御挨拶↓↓
https://mouryouan.hatenadiary.jp/entry/2018/09/20/042102

罔兩庵主人 兀狄山人 gotuteki sanzin

ご本尊「再」ウルトラライト化計画 【雑】

ご本尊「再」ウルトラライト化計画 【雑】

趣旨

少しリバウンド気味なので、もう少し減量するとともに、体力も戻す。

平地歩き4時間、山歩き4時間で、週に2800kcal
13週間、8月初旬で5㎏減量の計算。

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ご本尊ウルトラライト化計画【雑】20180216

前回の運動主体の計画は挫折して、この後、9月に大きく体調を崩した。 
その結果、民間療法代替医療を模索して、11月から食事療法主体、少食化炭水化物抜き、肉抜きで大きく減量成功した。
が、少食と肉米抜きのためか、筋肉が落ち、スタミナがなくなったように感じる。

2018年夏 72㎏→年末64.5(-7.5)
ここから、炭水化物肉一部復活
'19年2月 62.9㎏(-9.1)
で、その後、普通に米も食べはじめたら、やはり太り始めた。
'19 4月 65.6㎏(-6.4)
今度は、食事療法より運動主体の減量に変えてみる。
ダメそうなら、また少食療法を行う。

再び、 
ご本尊「再」ウルトラライト化計画 

前回の趣旨
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登山カロリー消費

百名山並みの山の登山 536キロカロリー
奥多摩高尾程度〃 479
尾瀬や西沢渓谷程度ウォーキング 240 
http://www7b.biglobe.ne.jp/~photography/calorie.html

普通の平らな道ウォーキング 221 
http://keisan.casio.jp/exec/system/1161228742

……中略……
一時間のウォーキングで220キロカロリーに定数変更。

サウナ・入浴は……中略……

一時間で220キロカロリー消費とする。
……中略……

よって、
72000キロカロリー消費にかかるのは、
減量トレ一回あたり220×5時間で1100キロカロリー
65回(日)で達成予定に目標を変更する。云々
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これを、一応たたき台にする。

最低週に1回は、
風呂と平地のウォーキング、計4時間 880kcal  と
山歩き4時間 1920kcal
で、2800kcal
13週で5㎏ 分のカロリー消費になる。

食事でどれだけ増えて相殺されるかはしばらく様子を見て、また修正することとし、しばらくこの軽いノルマをこなしてみる。

(仮称)自前の思想と社会性のトリレンマ β版 【思想】

(仮称)自前の思想と社会性のトリレンマ β版 【思想】

要旨
国際金融のトリレンマを、社会と個人の場合に比喩的に当てはめてみた。
大雑把な論理的なスケッチの試み。

精度をあげないと、このままではまだ使用に耐えないが、忘備のメモ。

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Wikipediaより……
国際金融のトリレンマ……

以下の3つの政策は同時に実現することができず、同時に2つしか実現できない。

自由な資本移動
為替相場の安定(固定相場制)
独立した金融政策

……中略……

ある国はこの3つの「自由な資本移動」「固定相場制」「独立した金融政策」のうち2つだけを受容することができる。もしある国が ……中略……
「自由な資本移動」と「固定相場制」を導入するのであれば、金融政策の独立性は失われる

……以下略

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暇人之妄想。

個人と社会で比喩を考えてみた。
雑なスケッチです。急な思いつきなので詳細は詰めてません。
ま、早く書きたかったのでとりあえず。とりあえず。

国際経済のトリレンマとの比喩で考えてみる。

3つの要素を以下とする。

・社会内での友好性・好感度の維持(豊かなコミニュケーション)
・自前の思想に基づいた独立した意思決定
・思想と行動の整合性(による自我の安定)

①豊かなコミニュケーション、と、独立した意思決定をとると、自我の安定が成り立たないか?

うん、常に社会内での立ち位置が微妙になるから、情報の出し方が複雑になり、力関係から意思決定と行動のパワーバランスに気配りし続けなくてはならないから、行動と思想に整合性をとるのが難しくなり、精神的な安定は無くなりそうだな。

②コミニュケーション、自我の安定をとる。
すると、独立した意思決定、はとれないか?

うん、まさしく、日本的な空気の決定力。
話せば話すほど思想の独自性は失われ、決定は人任せ、日より見的な無責任に流れる。
社会内で好かれ、自我も安定させるためには、考えないで、付和雷同で無責任になること。
うん、成り立つね。

③自前の思想や独立した意思決定と、思想行動の整合性とそれによる自我の安定をとる。と、社会とのコミニュケーションは上手くいかない。

これは、わかりやすい。確かに、この場合、ゴーイングmywayだから、自由なコミニュケーションは無駄と云うか精神的な消耗でしかない。
社会的な友好さを失い、孤立してしまうだろうな。

自我の安定=思想と行動の整合性、と云うのはやや独立したことをいっしょくたにしてるから、突っ込みどころ弱点だよ。わかってる。ウンウン。……雑だな。

ま、なんとなく、もう少し調整して突っ込まれた時の理論武装して、定義と言葉の精度を高めたら使えそうだな。ウンウン。
暇で頭が冴えてるとき、ブラッシュアップしてみよう。

なんと名前をつけるかな?
「自前の思想と社会性のトリレンマ」??
まっ(仮称)ってやつ。

人に好かれたいなら、考えるな。ってことだな。

蛇足;

更に、Wikipediaより……

国際金融のトリレンマに類似のものとして、「世界経済の政治的トリレンマ」という仮説が、
……中略……
以下の3つは同時に達成することはできず、どれか2つをとれば、残りのどれかひとつが達成できない(犠牲になる、縮小する)とする考えである。

1.『グローバル化(国際経済統合)』
2.『国家主権(国家の自立)』
3.『民主主義(個人の自由)』
これらは「国際金融のトリレンマ」の、

1.『自由な資本移動』
2.『独立した金融政策』
3.『為替の安定(固定相場制)』
にそれぞれの順番で対応するものと考えられるとしている。

すなわち、

1.『グローバル化と国家主権をとれば民主主義が成立しない』
2.『グローバル化と民主主義をとれば国家主権が成立しない』
3.『国家主権と民主主義をとればグローバル化が成立しない』
となるとしている。

例として、1.の代表が共産中国であり、2.の代表がEU加盟各国であるとしている。

完全に無意味な妄想だが
3. の例として、
徳川幕府が勝利した後の鎖国政策がうまく存続している。仮想世界のSFがあったら面白い。
「高い塔の男」みたいな……。

で、ついでに、「世界経済の政治的トリレンマ」の方で「個人と社会」での比喩を対応させてみようとしたが、どうも上手くいかないみたい。

上手いパラメータがおもいつかない。

……諸国家、国家、国民 ……複数の社会、帰属する社会、個人……

集団間の安定、平和……
集団の存続、自立……
集団内の個人の存続、自由……

んー。(;>_<;)
うまくいかないな。

……気が付いたのだが、国際経済のトリレンマと、世界経済の政治的トリレンマは正確に対応しているわけではないように思える。
国際経済のトリレンマほど、~政治的トリレンマの方はうまく機能しないのではないか??
素人が思い付きでえらそーに。デスネ。はい。
サヨナラサヨナラサヨナラ✋

ここいらへんは、パス。
ダメだこりゃ~(byいかりや長介)

以上。おちはない、暇潰しまで。

非Aなる概念と孤独について 【哲学】

非Aなる概念と孤独について 【哲学】

⚪AとBが対義的 である場合、つまりA=非B 非A=B。 

独立した対義語 AとB が存在する場合。が、まずある。
これを、case-A・B とする。

case-A・B の例。
「善」・「悪」
「光」・「闇」
「白」・「黒」
「男」・「女」  ……等々

⚪独立した対義語がない場合。つまり
Aと非A として表す場合は、
case-A・非Aと表記出来るだろう。
この、caseには3種類あって、

Aに、善悪のニュアンスの無い場合がまずひとつ。

更に、このcase0=A・非A型
の、Aなる単語が「善、或いは好ましいニュアンス」を持つ場合を "a(善)" 、
逆に「悪、或いは好ましく無いニュアンス」を持つ場合を "a(悪)" と表記すると、

"a(善)" と、非"a(善)" で構成される対義の類を
 case1=a(善)・非a(善)型、略して 善・非善型……2つ目

a(悪)と、非a (悪)で構成される対義の類を
 case2=a(悪)・非a(悪)型、略して 悪・非悪型……3つ目
と表記できる、と思う。

⚪面白いことに、大抵のケースは、
善・非善型 のようだ。
これは、洋の東西を問わないので「言霊思想」と云う訳でもなさそうだが、所謂「予祝」(あらかじめ悪いことを考えない、好ましいことを言っておく、と良いことが起きる)と云う宗教概念が当てはまるのかも知れない。

⚪たとえば、幸福、しあわせ、と云う概念は
善・非善型 だ

幸福の対義語は、不幸で、不幸を表す独立した(幸を用いない)語は無い。

⚪同じく、正義 も 善・非善型 だ。

以下ネットにて……
「justiceの対義語は、injustice です。
正義の対義語 不正義、不義」……不正……

ま、あとは色々考えてみて下さい。

⚪面白いことに……皮肉な?か?、この世は「不幸」が常態だし、「不正義」が当たり前である。
にもかかわらず、不幸や不正義にあたる独立した言葉はない。

 ⚪ ⚪ ⚪

⚪さて、ここからが主題なのだが「孤独」について。
これは、珍しく
悪・非悪型 だ。

と云うか、孤独については、対義語の存在すらよくわからない。
一応、ネットで調べたが何となく腑に落ちない。

以下ネットにて。

連帯……
孤独 連れ立つ
意味 周囲にたよりになる相手が一人も居ないで、ひとりぼっちであること いっしょに行く。伴って行く。
和英 alone accompany……

その他、あまり賢いとも思われない戯言が色々かかれていた。

仮に 孤独の対義語を "非孤独" としておく。
……造語かも知れないが、今のところこれ以外に言いようが無いように思える。

しかしながら、どう考えても、人間の本質は、孤独である。
動物や自然に孤独は無い。
正確には孤独と云う概念が成立する余地がない。

成立する余地がないとは、以下の如し。

……山人曰く、

全てが闇ならば、光と云う概念が成立する余地がない。
光と云う概念が成立する余地がないのなら、闇と云う言葉の存在意義はなくなる。
つまり、全てが闇ならば、闇と云う言葉は無くなる。

地底洞窟で進化した目の無い魚には、闇は無い。
……云々、以上。

で、だ、

自然は連続している、個と群も、生と死も、自と他も。
われわれ人間だけが、自然の連続性から切り離され「私」として存在してしまっている。

バタイユの云う「失われた連続性」と云うやつだ。

孤独とは、この「失われた連続性」と云う事態の心理的表現だから、
非孤独とは、「連続性」と云うことなのだが、一般には「孤独の反対は連続性」では、何を言っているかわからないだろうから、非孤独でいいのだ。

あるいは、失われた連続性=人間の本質、なのだから、
非孤独=連続性=自然 でも良いのだが、
これでは一般人にはますます意味不明になる。

都会人には現実的なニュアンスとしては、自然=孤独ですらある。

人間は、真の自然のなかで恐ろしいほどの孤独を感じる。
一度、山の中で野宿をしてみるといい。

これは、本来は生物としては倒錯である。
しかし、人間的な事実でもある。

人間存在と云うものが、倒錯なのだろう。

何故、神は人間なんかを存在させてしまったのか?
まったく、うんざりする生き物どもだ。

以上

ロッキンロール と 慈悲【思想 雑】

ロッキンロール と 慈悲【思想 雑】

ロックは社会の扶養家族。宇宙人は地球人の保護生物(元のタイトル
)

いまでこそ、ロック・ミュージックは完全にコマーシャリズムに組み込まれた。
アナーキズムは粛清されヒッピーは絶滅し革命はお笑い草になり果て、不良も反抗も消毒されて、面取りされたカミソリ型のピアス、キチンと刃を落としたナイフをファションとして見せびらかすだけになった。

が、まだ70年代、いや80、90年代でさえ多少の矜持とか、反逆への憧憬を持ったロックミュージックは細々と生き永らえていた。
……いや、額面では、それがまだ、ロックのロックたるidentityとして面目を保っているはずだった。

過去を美化するわけではなく、そう云う時代があったというだけの話で、もう今は何処を探してもロックに反社会性も反逆のかけらも無い。
消毒薬どころか柔軟剤の臭いしかしない。

内田祐也氏の、ロッキンロール。
は、そう云うメッセージを込めた、死んでしまったロックへのオマージュなのだろう。
本人は、あまり賢い人ではないようだから、勘違いしていたのかもしれない。

ザザン某のような厚顔無恥なロックを僣称するものしか大衆は必要としていない。

で、その時代でさえもアナクロであった幻想を、ロックに託していた小生はセックス・ピストルズになるには早く生まれすぎ、教養もありすぎ、上品にもすぎたので、自然インプロビゼーションだのアバンギャルドだのな方向に進まざるを得なかった。

 ⭕ ⭕ ⭕

とは云うものの、そもそもがだ。
映画イージーライダーにえがかれた、ヒッピーのコミューンの荒涼たる姿が幻視(ビジョン)するように、ロックも含めてその手のカウンターカルチャーと云うものは、所詮

「高度資本主義社会の矛盾から出た不要なエネルギーを消耗させ、緩衝する為の装置に過ぎない」

つまり、十分豊かな社会のみが、不良や反逆者の戯言を聞き流してくれる余裕をぶっこいてくれるわけだ。

ひらったく言えば、
「ロックは社会の扶養家族」だと、云うことだ。

裕福な家族の経済に頼る不良。

この台詞は、十代の小生の言葉だ。
最初からわかっちゃいたのだ。
わかっちゃいるけど、やめられない。
と、云うことで、端っからまわりのロック研の人々とは違う世界を見ていた。

最初から形而上学者が間違って、ストラトキャスターを持っていたのかもしれない。

ま、マーシャルにプラグを指してボリュームをフルアップにして音を出せば、そんな能書きは不要になるのだが……
性根がそんなところにあるものだから、結局のところ、楽曲はどんどん難解になり、ライブは面倒になり、歌詞は哲学的になり、まわりから孤立していったのは当然のことだ。

生活もご同様で、家庭はなくし、女たちは去り、知古縁者とは交際を断ち、仕事は減らし、バンドも離れ、ますます思想は明確に、頭脳は鋭くかつ、酩酊の度も深くなっていく。

それなりに、バカではないし、計画性もあるので経済的に困窮はしないように手を打った。
一度死にかけたが、今のところなんとか病院のお世話にもならず、世間との交わりを断ち、テレビも無くし新聞も読まず愚かな雑音から離れ、完全な孤独を楽しんで生きている。

無責任に高みからへらへらと皮肉っぽい目で日本を見ると、愚かと言うも虚しく同朋の虜粧に茫然言葉を失う。

しかしながら、社会から背を向けたものが、その社会をよしとしている人々に何か言う権利は無い。大きなお世話である。
……小生には、北朝鮮マスゲームと我が国の少年サッカーに違いがあるとは思われない。
将軍様とマスコミ様の違いがあるだけではないのか?
……
これは全く嫌みでも非難でもなく、人生の価値を社会の中での評価だけにおいてしまえば、それが将軍様にみとめられることか、有名になり金を稼ぐことか、と云う別の社会では、別の生き方がそれぞれ良しとされる。
あたりまえのことである。

(誤解無きよう。マスゲームやサッカー…登山でも戦争でもいいが、その達成感だの精神性だのを取り上げているわけではなく、「何故、それがサッカーなのか?」と云う側面を取り上げているだけだ。一昔前なら野球だっただろう。ホッケーでも、水球でも、ハンドボールでもなく、何故サッカーなのか?……)

ただ、彼の国では「自分の頭で考えて、自分独自の生活をすること」は、許されていないが、我が国では許されている。
許されているからと云って、そうしなくてはならない法はないので、大多数の人間は社会の慣性の法則に従い惰性のまま生きるわけだ。

慣性が、独裁者の軍事路線だったり、高度資本主義の拝金主義だったり、イスラム原理主義だったりのvariationがあるだけだ。
考えないことこそ、大多数の大衆の特性なのは洋の東西時代を問わない。

本を閉じて、テレビをつけよ。
自ら考えるな、新聞を信じよ。
ソラ・スクリプト(聖書のみを信じよ)アーメン。

それが、この惑星地球を占拠するもっとも有力な生命体の特性だ。
つまり、地球人だ。

それに対して、形状は地球人と同じでも、まったく違う行動原理をもって生きる生命体は、生物学的・延長的にはホモサピエンスなのかもしれないが、精神的には別の生命体と云える。

自らの用うる、抽象名詞(善悪神世界愛正義平和民主主義……)の定義を確定する努力を惜しまない。
自分の辞書を作り、それに従い考える。
自らの言動に整合性を求める。
事物の科学的、歴史的事実に価値を置く。
社会道徳に盲目的にしたがわずに自らの倫理を構築する。
美を感じる前に訓練をする。
常に自らを凌駕する絶対的なものに目配りする……
……このような、一般地球人とはまったく別な傾向を持つ生命体は 宇宙人 といっても良いのではないか?

宇宙人は僅かしかいないのに、個々すべて、べつの特性を持つ。
絶対的に孤独である。
地球人は何億人いても、基本的には同じ精神構造を持つ。社会環境で別に見えるだけである。
基本的には、孤独を免れている。
幸福はどれも同じに見える。不幸はそれぞれが独自性をもって見える。

宇宙人は連帯しない。と、云うより少数過ぎて出会うことすらまれである。

だから、地球人の中の、慈悲深い人々の好意を頼って生きるしかない。
たまたまの、エゴ。正論を吐きたいと云うエゴも、慈悲深い人々に許される範囲を超えてはならない。

つまり、
「宇宙人は地球人の保護動物」。

レッドデータ、生かすも殺すも人次第。

地球人の慈悲に感謝し、生きさせてもらう。
逆らってはいけない。
異人(エイドス)は同化するか殺されるしかない。

調子にのり、寵愛を失えば孤独の荒野で野垂れ死に
神より前に、地球人様様。赦したまえ。

で、ロックをやる宇宙人と云うものは、もう何とも言い難い、保険適用の3重苦で生活保護を受けているようなものだ。

これ以上、地球人に迷惑がかからないように静かに目立たず世間の片隅で息をひそめているのが相当だろう。

宇宙人を探すなら、山か図書館が確率が高いかもしれない。

ひまつぶしズム -1-青春18切符の哲学【哲学】

ひまつぶしズム -1-青春18切符の哲学【哲学】

世界に目的は無い。(所与の)意味もない。
だから、
どのような人であろうと、その人生に本来は意味は無い。
絶対的な、もともと与えられた(何から?)価値や、目的も無い。
当事者が作った価値や目的に、当事者以外が認めるべき正当性もない。

しかしながら、生命体である以上、自殺を含めて、その生命を終えるまで、どうしたって生きる訳である。

と、云うことは、要するに、どう考えても

○ axiom.「人生は死ぬまでのひまつぶしでしかない」
=ひまつぶし(人生)観。 
その、価値観から演繹されるライフスタイルを「ひまつぶしズム」と言ってみたりして……

と、これを認めた上で、様々な選択肢やらバリエーションが発生する。

そのバリエーションのひとつに、「資本主義のエトス(勤勉は善)」だとか「マルキシズム」だとか「宗教」だとか「認知論的世界観(最終的には科学ですべて説明がつく)」だとか色々あるだけの話で、どれも

本来的には、嘘、と言って悪ければ、仮説……ではないな、迷信…盲信…虚構……狂信……やはり、狂信が一番正鵠を得ているなぁ。……意地が悪いようだけと。

狂信者も彼らの天国を夢見る。……キーツだっけ?

これらはとりあえず、意味はある。
ひまつぶし観、はそのままではニヒリズムだから、ニヒリズムが悪いものなら(本来は無記だろうが…)何らかの仮面を被せてやらなくては生きづらい。

悪いとわかっているものに腰かけているのは居心地が悪いものだから。
化粧が悪くないのと同様、悪しき現実に仮面を被せるのは悪いことではない。

基本的には、だ。それが抑圧や暴力を産み出すのは善くないに決まっている。
政治と宗教が結び付くとそうなり勝ちだが、それは、また別のはなし。

で、「ひまつぶし観」と云うのは、その
○「真実をそのまんま受け入れて単なるニヒリズムに陥らずに、ニヒリズム的な生を能動的に楽しんでみよう」と云う試みだ。

楽しんでしまえばそれはもはや、ニヒリズムではない。

---------
バカであり続けられる者は、羨ましい。
人は賢くなることはできるが、一旦賢くなったものが愚かになることは至難である。
愚かさは至福のまどろみ。
球蹴りなんかに夢中になれる精神なら、世界はシンプルで、ライフいずイージーにきまってるヨー。

でも、目覚めたときってどうなるんだろう?
インチキ宗教から逆洗脳(デプログラミング)したときの恐怖の空虚……
だから皆さん、本当は薄々感じてる現実が嘘ってことがばれそうになるとあたふた虚栄を張り、切れそうになるんだよね。
そして、衆愚のまどろみに避難するわけだ。
その装置として、宗教、放送、広告、車、エロ風俗、エンタメ、ごみ音楽、マンガ……スポーツ‼……そして金銭紙幣エサ……コマーシャリズムが色々用意しとくわけですな。

勤勉は呪いである。(ニーチェ)

宗教はアヘンって、アンタ(マルキシズム)もでしょうがっ。ざんねん(古っ)
---------

閑話休題 ⭕ ⭕ ⭕ 。

実は、昔から「ひまつぶし観」は持っていたのだが、「生きる時間はすべて死ぬまでのひまつぶし」と云う原則から物事を見ると、結構人生をポジティブにする。
つまり、面白いってなっ!。てな事を発見したのはそれほど昔ではない。

たとえば「青春18切符」。
これ、安いからって一面もあるけど、素晴らしい「ひまつぶしツール」です。
安いから長時間乗っていることを我慢する。
のではなく、
安いのに長時間ひまつぶしができる。
と、よりポジティブに評価できるようになる。

まぁ、豪華客船論理の1日バージョン。

2370円で18時間も変わりゆく日本の風景を眺めるひまつぶしが出来る。って、スゴイ。

余裕があると、トラブルも楽しめる。
運が悪けりゃ途中下車。最悪でも駅舎で野宿。
自分のトラブルも楽しむ。まして他人のはコミックショー。
別れも楽しむ。 老いも楽しむ。 ED も楽しむ。

所詮ひまつぶしなんだから、何にもないより何か起こった方が面白い。
って、寒い辛い痛い、病気や怪我は嫌だけど……それは、おさおさ準備怠りなく。

ひまつぶし観からすれば、
基本的には、大仰なハートブレイクとか、ご心痛とかは無くなってしまう。
すべて、笑い飛ばす。
それが無理なら、ただの風景としてボーッと眺めてやり過ごす。

生きる時間を、楽しくひまつぶしがてきるか?否か?。
と云う価値評価に変わると、いろいろな物事の見方が変わる。
変わるというより真逆なる事も多い。

時間がかかる、と云うことがプラスの価値になる。

旅の目的を、
「たくさんの場所を短時間で見て回る」
から、
「いつもと違う場所で、いつもと違うひまつぶしがてきる」
に変えると、かなり面白いことになる。
トラブルで名所に行けなくっても、トラブル自体を面白がる。

考えてみれば、
今までも、小節数を決めないインプロビゼーションだとか、登らない山登りだとか、野宿マニアだとか、「ひまつぶし」ごっこはしてきたなぁ。
あっ!ウルトラライトって、ひまつぶしだよなっ、、あんなもん。

ただ、正しくラディカルに「ひまつぶし観」から評価してこなかったのも事実。

人生の黄昏に至って、正しい物の見方を手に入れた。と云う気のする今日この頃です。

ほんと、無意味な人生なんだから、笑って面白がってればいいんじゃない?

何をあくせく川端柳 川の流れを見て暮らす🎵
(正しくは、あくせく→くよくよ、です。)

『神の必然』 について 【哲学 生活】

『神の必然』 について 【哲学 生活】

キリスト者なら、神の意志 と言うのだろうか。
ネオ・スピノチストたる小生なら、(ほぼ)『神の必然』と云う言い方になる。

神即自然に意志はないし、神即自然はなにも求めないから、~必然、なんて変な表現にならざるを得ないが、神を擬人化してしまうキリスト教的危険に陥らないよう心得た上で日本語を使うならば、神の必然も、神の意志も
同じような事態をさすと言っていい。

賢サカシらな行いを捨て、最も自然な因果に運命を委ユダねること。

ではないのかなぁ。とは、いささか荘子的な菅見ではあるが、おおきく外れてもいないのではないか。

さて、なるべく手早くまとめるが、最低限の回り道をば、、、

自然。と云う言葉には二つの全く違う意味がある。
(以下は愚考にてウィキ等とはやや異なる。)

ひとつは、「宇宙や地球のありのままの野性、環境、生命体……」
自然林とか、自然公園、自然界……とかの自然。

もうひとつは、
「人間と人間の意志の加わらない因果の流れ。」
自然に、自然体で、……

------
蛇足。
最初のはコラプス(物体)にあたり、後のはメントス(精神)にあたる。そして、スピノチスムでは2つは対応している。だから、同じ言葉の2つの意味でいいと云うことになる。……これも、菅見。
辞書的には全く違う。(両者、原義は人為を捨て、から来る故、とか)
------

この、あとの方の「最も(賢しらを捨て)自然(の因果のまま)に人生の事態に対処する」事が、『神の意志』に叶うことだと愚考する。

無理をしない、とは云うけれど、何が無理かはなかなかわからない……。

------
蛇足。
これは、必ずしもキリスト者の思惑内には収まらないかもしれない。
宗教、とりわけキリスト教は狭量な道徳に拘る故に。
これは、多分に老荘の徒たる者の視点が混入してはいる。
------

さて、表題の『神の必然』にもどる。

自然(神)に意志も目的も認めない、ある意味現代ではあたりまえな(しかしながら唯物論的では全然ない)、スピノチスムは常に「過去に対しては肯定する」。

だって、実際そうなっちゃったんだもん、なるべき理由は必ずある。
……遅刻魔は必ず言い訳を持っている。

厳しい、ときに嫌な表現だが、起こってしまったことはすべて「神の意志」にかなっている。と、云うことになってしまう。

(浄土真宗で、「日頃の往生」などと云うのも、似たような伝)

が、
🔴未来は過去とパラレルではない。
ここのところが、スピノチスムに対する誤解と云うか最も分かりにくい点だろう。

……確かに運命論なのだが、運命に対する考察の深さが恐ろしく深いのですよ。……

すべて起こって終った事は神の必然なのだが、これから「為すべき」事は、まだ我々の自由裁量のうちにあるのだ。

何故なら、我々は神でないのだから。
未来は神にとっては閉じている(これを永遠と云う)が、笑われにとっては「まだ開かれている」。

……言い訳する遅刻魔は未来を閉じている。神の愛を捨てている。運命に受動である。

✳ ここんとこは、スピノチスム最大の難解なところのひとつだから今は、説明しません。

------
蛇足。
色即是空 の分かりにくさとかなり似ている。
空即是色 が、まず実感できなければ、色即是空の意味などわかるはずがないし、もしわかったとて何の効用もない。
効用がないのなら、何のための宗教なのか?
坊主の金儲けか?ってか、坊主わかってんのかな?
救われなくては僧堂伽藍八宗大蔵一切虚仮。
悪人末期の一念仏に敵わず。

-------

その、開かれた未来に対して『神の必然』をおもんばかると云うことが、スピノザの台詞では

能動的な生

と、云うことになると小生は解釈している。

そして、自らの好むところの行いがこの、能動的な生に知らず知らず(自然)に対応するならばこの状態を

神の恩寵 
とか、栄光 とか、呼ぶのだとこれまた小生勝手に解釈している。

(孔子の「六十にして……」ってのと似ている。)

そして、これは必ずしもそうなるとは限らないが……

🌕神の必然から大きく踏み外したときに、神即自然は何らかのメッセージを送ってくれるものだと、またまたまた小生勝手に思っている。
何故なら、この年まで生きてきてそのような事があまりに多かった為。
(これは、スピノチスム的ではなく精神分析的に説明することも可能だ)

その、メッセージを己の疑心暗鬼と分かち、正しく聞き分ける能力。
従い方向を見つける能力。

それが、(突然ですが)山で遭難しない能力である……事は、山に長くいた者なら必ず賛同してくれるものと思う。

人生だって同じことではないか。当たり前の事だ。
皆何故か、山は危険だと言いながら、人生は安穏だと勘違いしている。

山は人生の縮図。濃縮版(笑)

神は大抵、メッセージをくれている。
これは「神の知的な愛」の一部である。

ときに、具体的に救いの手を述べてくれる。
これを「神の外的援助」と云う。

だから、神の恩寵を受けることは誰にでも出来る。

その、用意さえすればいい。

何が、神の愛を妨げているのか?

それは自ら悟らなければ意味がないし、効果もない。

- - 以上、訳あってザクッと急いだので、かなり雑でベタな説明だが学者先生のカンジョを乞う。って、だれもよんでねーよ(笑)

世捨人余録週報 -2019-08週-0217~0223 【日記】

世捨人余録週報 -2019-08週-0217~0223 【日記】

2019 02 17日曜
昨日は久々の宴会登山にて調子こいて飲み疲れ。
なんと、3週連続で週末人と会うとは珍しい。
当分は、いい。
図書館に行って九州のガイドを借りてきた。

今日実家より荷を送ってくれるとか。
沢庵やら、生糀やら、、、有り難い。
結局、最後はまで残るのは血のつながりだけのようだ。
子供がいることは、本当にありがたい。

18月曜
ヤマトさん朝早く届けてくれた。ありがとう。
荷を整理して冷凍したり保存したりしていたら、白海老オカラ・白菜漬け等つまんで少し飲みたくなって飲んで少し寝てしまった。
また、逆食気味。

19火曜
パッキング、特に食べ物関係を試行錯誤している。

先日、DAISOとカインズで見てきたので、本日は別方向の島忠と別のDAISOにビールのおまけの保冷ケースを持参して現物会わせに行った。
結局、ジップロック2種4個買ってきた。
クッカー、保存容器、ケースの組み合わせは悩ましい。
適当なキッチンハサミや、折り込み包丁は無い。

買い物の帰り道、小雨。
もらった糀にて甘酒(甘糀)を作る。
残りはほぐして冷凍した。

10時間後に目覚ましをかけて、保温を切るのがやや面倒。
電源用タイマーを買おうか、、、

20水曜
生糀はやはり量を増やさないと甘味が少ない。
米の粒も多く残っている。
これは、まろやか、と云うことなのか?
次は比率を変えてみよう。

夜中に出来上がり、うとうとして昼から入間の湯に。
この二三日食べ過ぎ、炭水化物も。
が、さほど増えてはいなかった、0.5くらい。
18時に出て、帰りは小雨。傘を広げたり閉じたり。
業務スーパーに寄る。傘があるので大したものは買えず。

21木曜
珍しく、眠たくて眠たくて起きれない。
フライパン用の低重心グルーヴ・ストーブ作ったり、ケースに会わせてまな板作ったり、、、

そんなこんなで、晴れているのに、出そびれて、飲んで寝て、また24時前に起きて、、、思い立ってアルコールストーブいじり出したり、、、フー💨

22金曜
天気良くない。気力わかず。
昨日に引き続き引きこもり。
珍しくパスタなんぞ食べた。アルストの実験。
酒がなくなった。ペースが早い。
体重は増えてはいないがまた、体調が良くなくなってきた。
孤独死なんかしたら子供に迷惑がかかるなぁ。
自分はたいして気にはならないが、、、
ポックリ苦しまずに死にたい。それだけが望み。

23土曜
本日は酒は抜く。

思い付いたことがありダイソーとカインズへ。
高麗に散歩に行こうかとも思ったが風が強いのでやめて図書館へ。
アルコール依存症高機能自閉症の本と、ランドネなんかを眺めてきた。
ピークス……ランドネ。
なんともはや……。
エイリアンのたわごと、か……

「うつし世はゆめ よるの夢こそまこと」
 
帰ってから火器と食事道具のシステムとパッキングを試行錯誤しながら粕汁などを食う。
酒がない。眠れない。

本当に寒いのが嫌いになった。
独り気ままに慣れ、何事にも耐性がますます無くなる。

以上